◆もっと知りたい「びおソーラー」◆09

小玉祐一郎の眼力

題の言葉「閉じるは技術、開くはデザイン」を、最初にいいだしたのは、当時、建設省の建築研究所におられた小玉祐一郎さんでした。
1993年7月のことです。空気集熱式に取り組む建築家は、当初、断熱・気密に関心が薄かったのは事実です。
「ああいうことをやりたくないから、空気集熱をやるんだ」と真顔でいった人もいました。そんな中で、それは違うよ、ちゃんと開くために、閉じる技術が必要なんだ、と小玉さんはいわれました。そしてそれは、一方において、高断熱・高気密技術に対する批評でもありました。閉じる技術に傾斜するあまり、「開くデザイン」への軽視が見られました。パッシブ揺籃期における、小玉さんの眼差しの確かさは、今尚、示唆的です。

高断熱住宅の南下

高断熱住宅は、過酷な冬を強いられる北海道において進化しました。
北海道において、防寒構造の建物が建てられたのは、第2次大戦以降のことです。それまでは、達磨ストーヴを囲い、金盥に水を張って湯気を立てて寒さをしのいでいました。粗雑で熱の漏れが多い家を克服して、住宅の断熱化が一つの方法に達するには、数十年に及ぶ取り組みがありました。
その努力の結果、北海道は、窓辺にいても寒くない家を実現します。北海道というと、閉じられた住宅を想像しがちですが、南面のガラス窓の大きさは、これが寒冷地住宅かと目を瞠るものがあります。
ただ、南面に開かれる住宅が増えたものの、烈風に襲われる北側は閉じざるを得ませんでした。
高断熱住宅は、津軽海峡を渡って南下し、ついには沖縄にまで届きました。

スイッチをオンすればエアコンは回ります。しかし、エアコンは文明の利器であっても、建築的方法ではありません。建築そのものをもって「文明」と呼び得るものは、わが国では耐震化を別にすると高断熱住宅です。
文明は、地域性を超えるものです。
高断熱住宅は、地域性を超えて南下したことによって、一つの「住宅文明」となりました。文明は、いつも地域文化と衝突を繰り返し、物議を醸しました。
高断熱住宅は、北海道から離れた後も、南面は開くものの、建物の北面は閉じたまま南下しました。
南北の抜けを失った住宅は、地域の「開くデザイン」を摩滅して行きました。それに伴って、住まいの近隣関係は〈縁コミニュケーション〉を失って行きました。

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閉じてから開く家の北上を

しかし、高断熱化により、小さな熱取得で暖を得られるようになったのは疑いありません。北海道の建築家・圓山彬雄(まるやまよしお)さんは、本州での閉じる・開くの議論に割って入り、「閉じてから開け」と“喝”を発しました。空気が漏れ出る家を造っていたのでは、何事も始まらないよ、と。
鹿児島シンケンの迫英徳さんは、北海道で開発されたパネル工法を、四半世紀も前に鹿児島に運び、南北に開くデザインを実現されました。それは今尚、閉じてから開く家の好例です。

下の写真は、順光の北の風景に開かれた堀部安嗣さん設計のヴァンガードハウス(里山住宅博in神戸)の写真です。
不毛の議論を超えて、閉じる技術と開きデザインの融合が今こそ求められています。

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